清和院并土御門内裏址

KA042

せいわいんならびにつちみかどだいりあと
石碑(0005056)石碑周辺(0005062)

 土御門内裏は,鳥羽(1103〜1156)・崇徳(1119〜1164)・近衛(1139〜1155)三代の天皇が約30年にわたって利用した方一町規模の里内裏。平安京大内裏を模して造営された最初の里内裏で,もと源師時(1077〜1136)の土御門邸があった。たびたび火災などに遭遇し焼失と再建を繰り返したが,保元元(1156)年の再建が中止されて廃絶した。この石標はその里内裏跡を示すものである。『京都坊目誌』によると中世この地に清和院があったとするが不詳。なお,藤原道長邸の土御門殿とその北側に位置する清和院は,現京都御苑仙洞御所付近一帯にあった。

所在地上京区室町通中長者町下る東側
位置座標北緯35度01分23.9秒/東経135度45分29.3秒(世界測地系)
建立年
建立者
寸 法高128×幅31×奥行21cm
碑 文
[西]
   清和院并土御門内裏址
[東]
【未確認】
調 査2002年2月8日
備 考

上へ

[HOME]