足利将軍室町第址

KA041

あしかがしょうぐんむろまちていあと
石碑(0028852)石碑周辺(0028853)

 この地は,室町幕府三代将軍足利義満(1358〜1408)が造営した将軍家の邸宅跡で幕府が置かれた。北は上立売通,南は今出川通,東は烏丸通,西は室町通に囲まれた東西一町,南北二町の規模であった。仙洞御所や公家邸宅の跡地に造営され,邸内の樹木苑地が美しかったことから花の御所とも称された。応仁元(1467)年,戦火で焼失,文明年間(1469〜87)に再建したが再び焼失した。この石標はその跡を示すものである。
 なお,この碑は底部から5分の1ほどのところ(南面「室町」の下)で切断されたものに上部5分の4だけが残り,それに戦後下部5分の1を新たに作って補った碑である。北面には本来建碑者として「京都市教育会」と記されていたのを「教」の下を補ったときに誤って「教育委員会」としたものである。また西面の寄附者名は本来「田中富子」だが「富子」は補われていない。おそらく切断されたあと下部5分の1の部分は紛失または破壊され,正面(南面)のみ写真等で補い,南面と推測で下を補い西面は不詳として残したものであろう。

所在地上京区室町通今出川東北角
位置座標北緯35度01分43.1秒/東経135度45分27.5秒(世界測地系)
建立年1915年
建立者京都市教育会
寸 法高124×幅19×奥行18cm
碑 文
[南]
従是東北   足利将軍室町第址
[北]
大正四年十一月建之   京都市教育委員会(ママ)
[西]
      今出川千本
寄附者            田中
調 査2002年2月7日
備 考寄附者田中富子(1852〜1924)は千本今出川交叉点西北の田中政呉服店田中政七夫人/田中新史「京都・大正大礼建碑と祖」『土筆』11号(2014年土筆舎刊)参照

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