禁裏道場蹟

KA035

きんりどうじょうのあと
石碑(0028268)石碑周辺(0028269)

 般舟三昧院は,後土御門天皇(1442〜1500)が幼少期に住んでいた伏見殿に仏閣を建立して勅願寺としたことに始まる。天台・真言・律・禅の四宗兼学の道場に擬されたため禁裏道場と呼ばれた。文禄4(1595)年,豊臣秀吉(1536〜98)の伏見城造営に伴い現在地に移された。この石標は禁裏道場跡般舟院を示すものである。

所在地上京区今出川通千本東入北側(嘉楽中学校前)
位置座標北緯35度01分47.6秒/東経135度44分36.8秒(世界測地系)
建立年1940年
建立者嘉楽同窓会
寸 法高294×幅52×奥行50cm
碑 文
[南]
禁裏道場蹟
                  京都府知事従四位勲三等   川西実三書
[北]
皇紀弐千六百年記念   嘉楽同窓会建之
[西]
抑   本校敷地ハ東隣ニ存スル天台宗般舟三昧院正殿ノ在リシ所ニシテ
本校々名ハ西側ニ立テル   後土御門天皇御母儀嘉楽門院御墓ニ因タリ」
又本校元講堂ハ   御歴代御尊牌ヲ奉安セシ所ニシテ本校元正門ハ   桜
町天皇御殿門ノ御下賜ニ係レリ   謹ミテ史ヲ按スルニ洛陽般舟三昧院」
記ニ   後土御門天皇以来遣勅アリテ代々御追善追福此所ニテ修セラル
丶事恒例ナリ毎事   禁中ニ模セラル丶故法会ハ皆准御斎会ナリサレハ」
衣冠正シカラサル者ハ出入ナシ当時ニ於テハ勅願随一ノ精舎トモ申ス
可キニヤトアリ顧フニ児童ノ教化ハ其環境ト密接ノ関係アリ敢テ孟母」
三遷ノ故事ヲ挙クル迄モナシ然ラハ此点ニ於テ本校ハ特種ノ位置ヲ占
ムルモノカ然ルニ今年夏鎌倉建長寺ノ懇請ニ遭ヒ大正十二年震災大破」
ノ仝寺復旧ヲ助援シ前記講堂正門ノ二ツナカラ仝寺ニ譲与セリ茲ニ於
テ従来久シク特種ノ感化ヲ蒙リシモノ忽ニシテ望洋ノ嘆アリ依テ新ニ」
標*ノ碑ヲ樹テ既往ノ感激ヲ永久ニ貽サント欲ス願クハ今ヨリ以後朝
々登校ノ者之ヲ仰キ学窓ノ下平生思慮忠純ノ誠心ヲ励ミ遊庭ノ上日常」
操行端正ノ工夫ヲ凝サン事ヲ
                                       宮内省図書寮御用掛従六位   猪熊信男撰」
[東]
昭和十五年十二月   京都市嘉楽尋常等小学校長
                           正七位勲七等   宮川宗四郎謹書
調 査2002年2月6日
備 考


碑文中「*」字

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