法成寺址KA032 |
ほうじょうじあと |
法成寺は,藤原道長(966〜1027)が建立した寺。晩年阿弥陀信仰に傾倒した道長は,法成寺内に九体阿弥陀堂(無量寿院)の建立を発願,その後次々と堂舎が建てられた。康平元(1058)年悉く焼失したが,息子頼通(992〜1074)は直ちに再建に着手,孫師実(1042〜1101)に引き継がれた。以後もたびたび災難に遭遇,鎌倉末期に廃絶した。この石標は法成寺跡を示すものである。 |
所在地 | 上京区荒神口通寺町東入北側 |
位置座標 | 北緯35度01分17.0秒/東経135度46分03.9秒(世界測地系) |
建立年 | 1915年 |
建立者 | 京都市教育会 |
寸 法 | 高123×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[南] | |
従是東北 法成寺址 | |
[西] | |
今出川千本 | |
寄附者 田中富子 | |
[北] | |
大正四年十一月建之 京都市教育会 | |
調 査 | 2002年2月4日 |
備 考 | 寄附者田中富子(1852〜1924)は千本今出川交叉点西北の田中政呉服店田中政七夫人/田中新史「京都・大正大礼建碑と祖」『土筆』11号(2014年土筆舎刊)参照 |