立命館学園発祥地KA031 |
りつめいかんがくえんはっしょうのち |
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| 西園寺公望(1849〜1940)の秘書官中川小十郎(1866〜1944)により明治33(1900)年5月に創立された京都法政学校は,翌年12月,東三本木丸太町の仮校舎からこの地の新校舎に移転し,同38年,西園寺公望の私塾「立命館」の名称を受け継いだ。昭和56(1981)年,等持院北町に移転するまでの約80年間この地に所在した。この石標は立命館学園発祥地を示すものである。 |
| 所在地 | 上京区広小路通河原町西入(府立医大図書館内) |
| 位置座標 | 北緯35度01分24.2秒/東経135度46分07.2秒(世界測地系) |
| 建立年 | 1992年 |
| 建立者 | 学校法人立命館 |
| 寸 法 | 高159×幅503×奥行20cm |
| 碑 文 | |
| [南] | |
| 立命館学園発祥之地 | |
| [南面プレート] | |
| 今井凌雪(潤一) | |
| 書家,日本書芸院副理事長,日展理事・審査員,筑波大学名誉教授 | |
| 1922年生,奈良市出身,1949年立命館大学経済学部卒業 | |
| 1992年5月19日 | |
| [副碑] | |
| 一九〇〇年、中川小十郎により創立され | |
| 東三本木丸太町上る旧清輝楼の仮校舎で授業 | |
| を開始した京都法政学校は、翌年一二月三〇 | |
| 日、この地の新校舎に移転し、一九〇五年に | |
| は維新当時の西園寺公望の家塾であった立命 | |
| 館の名称を受け継いだ。同年には付属清和普 | |
| 通学校も開設され、翌年に立命館中学校と改 | |
| 称し、一九二二年に北大路新町に移転するま | |
| でこの地にあった。 | |
| 立命館は爾来この場所で校地を約七千坪に | |
| 拡張し、校舎は延一万二千坪余におよんだ。 | |
| 一九八一年三月に八十年にわたる広小路学舎 | |
| の歴史を閉じるまで、十万余の有志の若人が | |
| ここに学び、真理と理想を追求した。 | |
| この地にあって、激動する世界と日本の二 | |
| 〇世紀とともに、立命館はその栄光と苦難の | |
| 道を歩んだ。特に第二次大戦に際し、かつて | |
| この学舎に学んだ多くの同窓が戦場におもむ | |
| き、再び帰らなかったことは、痛恨にたえな | |
| いところである。 | |
| 戦後、立命館は平和と民主主義の教学理念 | |
| をかがげて大いなる飛躍をとげ、広く世界の | |
| 学術研究機関と結んで、地球と日本の現代的 | |
| 課題にこたえる教育と研究を推進しつつある。 | |
| 今日の立命館の営為は、二〇世紀初頭以来 | |
| この地で展開された幾多先人の業績の上に成 | |
| りたっている。 | |
| わが学園発祥の地を記念する所以である。 | |
| 一九九二年五月一九日 | |
| 学校法人立命館 | |
| 理事長 西村清次 | |
| 調 査 | 2002年2月4日 |
| 備 考 |