大極殿遺址碑 碑文の大意
 延暦13(794)年,桓武天皇がこの地を選び,新しい都を建て平安京と呼んだ。いまの京都のことである。それから千百年,現在に至るまで神州日本の古都であり,世界に誇る都である。京都市民は桓武天皇の徳と功績を慕い,神社を創建し祭典を行い,千百年記念の行事を行なった。その事が明治天皇のお耳に達し,桓武天皇の霊を新しい神社に安置し,官幣大社に列し,平安神宮と名付け,制度運営は橿原神宮に準じるという詔勅が出された。これで京都は永遠に天皇家の廟地となり,周りをとりまく山河も光輝を益すことであろう。このことは実に国家の盛典であり,京都の光栄である。そもそも大極殿は天皇が特に思いを込め政治を行う場所であり,荘厳な建物は国家の中心である。歴代の天皇が即位し,国民等しく仰ぎ見る建物でもあった。しかし今では痕跡すら残っていない。識者はこれを遺憾なことに思っていた。そこで史料を検討し,実測を加え,その遺跡を確定し,石碑を建てて明らかにすることにした。また紫宸殿等の遺跡と大内裏の四周を記し,後世に残すものである。この碑を見れば,平安京の概略はつかめると思う。