女紅場址

KA022

にょこうばあと
石碑(0028050)石碑周辺(0028051)

 明治期の女子教育機関である女紅場は,明治5(1872)年,九条家河原町別邸内に設けられた。英学と女工(手芸・手工)の二科を置き,英国人イーバンス夫妻を教師に招き,新英学校女紅場と呼ばれた。同7年に英女学校女紅場,のち京都府立京都第一高等女学校となる。現府立鴨沂高校の前身である。この石標はその跡を示すものである。なお,女紅場と名付けられた女子教育機関が明治初期にはたくさんつくられたが,この石標の示す女紅場は,女子に高等教育を施す学校である。

所在地上京区丸太町通河原町東入南側(丸太町橋西詰)
位置座標北緯35度01分02.9秒/東経135度46分15.2秒(世界測地系)
建立年1942年
建立者京都鴨沂会
寸 法高150×幅31×奥行31cm
碑 文
[北]
本邦高等女                     西九十三米
               女紅場址   従是
学校之濫觴                     南九十米
[東]
昭和七年十月
[南]
為母校創立六十周年記念建之
                        京都鴨沂会
[西]
女紅場ハ京都府立京都第一高等女学校
創立当初ノ名称ニシテ明治五年四月十
四日旧九条家河原殿ニ開設セル者ナリ
調 査2002年2月4日
備 考

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