京都慶應義塾跡碑

KA011

きょうとけいおうぎじゅくあとひ
石碑(0005051)石碑周辺(0005044)

 京都慶應義塾は,東京の慶應義塾の分校として,明治7(1874)年2月,福沢諭吉(1835〜1901)により開校された。福沢と親交のあった京都府参事槇村正直(1834〜96)の斡旋によって,この地にあった京都府中学校の一部を借りて建設された。英学や算術などを教えたが,同年9月廃校となる。この石標はその塾跡を示すものである。

所在地上京区下立売通釜座上る(京都府庁内)
位置座標北緯35度01分13.3秒/東経135度45分19.0秒(世界測地系)
建立年1932年
建立者京都慶應倶楽部
寸 法高166×幅273×奥行62cm
碑 文
[東]
   【以下3行右横書き】
独立自尊
明治七年
京都慶應義塾跡
[西]
独立自尊         福沢先生
墨蹟放大
慶應義塾長      林毅陸
撰文并題
此所ハ明治七年京都慶應義
塾ノ在リタル故跡ナリ当時
ノ京都府知事槙村正直ノ希
望ニ依リ福沢諭吉先生之ヲ
設立シ其高弟荘田平五郎専
ラ経営ノ任ニ当リ他ノ講師
等ト共ニ英学ヲ教授シタリ
其存続ハ約一年間ニ止マリ
シモ文化発達ノ歴史上之ヲ
湮滅ニ帰セシムルニ忍ビズ
乃チ碑ヲ建テテ其地点ヲ表
示スルモノナリ
昭和七年十一月廿七日
      京都慶應倶楽部建之
                  山本*定書
      龍文堂安太良刻
[北]
【ペン先を交叉させた校章レリーフ】
調 査
備 考2002年2月5日


碑文中「*」字

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