水戸藩邸跡KA010 |
みとはんていあと |
幕末の水戸藩主徳川斉昭(1800〜60)は,藩政改革に尽力するとともに,その子一橋慶喜(1837〜1913)を推す福井藩主松平春嶽(慶永)ら開明的な公武合体派の藩主と連携し,開国派の幕府主流と対立。安政の大獄では,斉昭らも処分を受けた。その後,尊攘運動が高まり,水戸藩士によって大老井伊直弼の暗殺,天狗党の乱が引き起こされた。水戸藩邸は,江戸中期までにこの地に設けられ,幕末まで続いた。この石標はその藩邸跡を示すものである。 |
所在地 | 上京区下長者町通烏丸西入北側 |
位置座標 | 北緯35度01分20.9秒/東経135度45分32.5秒(世界測地系) |
建立年 | 1968年 |
建立者 | 京都市 |
寸 法 | 高124×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[南] | |
水戸藩邸跡 | |
[西] | |
昭和四十三年十一月 京都市 | |
調 査 | 2002年2月5日 |
備 考 |