水戸藩邸跡

KA010

みとはんていあと
石碑(0004925)石碑周辺(0004922)

 幕末の水戸藩主徳川斉昭(1800〜60)は,藩政改革に尽力するとともに,その子一橋慶喜(1837〜1913)を推す福井藩主松平春嶽(慶永)ら開明的な公武合体派の藩主と連携し,開国派の幕府主流と対立。安政の大獄では,斉昭らも処分を受けた。その後,尊攘運動が高まり,水戸藩士によって大老井伊直弼の暗殺,天狗党の乱が引き起こされた。水戸藩邸は,江戸中期までにこの地に設けられ,幕末まで続いた。この石標はその藩邸跡を示すものである。

所在地上京区下長者町通烏丸西入北側
位置座標北緯35度01分20.9秒/東経135度45分32.5秒(世界測地系)
建立年1968年
建立者京都市
寸 法高124×幅18×奥行18cm
碑 文
[南]
水戸藩邸跡
[西]
昭和四十三年十一月   京都市
調 査2002年2月5日
備 考

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