薩摩藩邸跡KA006 |
さつまはんていあと |
幕末の薩摩藩は公武合体派を推進する中心的な藩の一つとして,京都における様々な事件に関係した。藩主島津忠義の父久光(1817〜87)は,文久2(1862)年に上京して,尊攘過激派らを鎮撫(寺田屋事件)。その翌年八月十八日の政変や元治元(1864)年の禁門の変では,幕府や会津藩などと連携して長州藩を中心とする尊攘勢力を一掃した。薩摩藩邸は,錦小路通東洞院にある本邸に加えて,文久3年,相国寺近くの二本松にも設けられ,新たな政治拠点となった。この石標は文久3年に新造された薩摩藩邸跡を示すものである。 |
所在地 | 上京区烏丸通今出川上る東側(同志社大学西門前) |
位置座標 | 北緯35度01分48.1秒/東経135度45分33.9秒(世界測地系) |
建立年 | 1968年 |
建立者 | 京都市 |
寸 法 | 高103×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[南西] | |
薩摩藩邸跡 | |
[北西] | |
昭和四十三年十一月 京都市 | |
調 査 | 2002年2月5日 |
備 考 |