黒田如水邸趾KA002 |
くろだじょすいていあと |
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黒田如水(1546~1604)は安土桃山時代の武将。はじめ姫路城を預かっていたが,中国攻めで下向途中の豊臣秀吉に従い,毛利攻めなどで活躍した。のち,聚楽第の東北部に邸宅を設けた。この石標はその邸宅跡を示すものである。なお,この地を如水町というのは,この邸宅に因むものである。 |
所在地 | 上京区一条通猪熊西入南側 |
位置座標 | 北緯35度01分35.2秒/東経135度45分01.6秒(世界測地系) |
建立年 | 1929年 |
建立者 | 京都市教育会 |
寸 法 | 高117×幅17×奥行16cm |
碑 文 | |
[北] | |
黒田如水邸趾 | |
[南] | |
京都市教育会 | |
[西] | |
昭和四年三月建之 | |
調 査 | 2002年2月5日 |
備 考 |