大円広慧国師碑

HU179

だいえんこうけいこくしのひ
石碑(0029342)石碑周辺(0029343)

 「大円広慧国師」は黄檗山万福寺(宇治市)第5代住持高泉性敦(1633〜95)に霊元天皇から与えられた国師号。高泉は明国福州に生まれ,隠元隆gの弟子となった。寛文元(1661)年に,すでに来日していた隠元に命じられ来日。元禄5(1692)年に万福寺住持となり,後水尾院や将軍綱吉から崇敬された。高泉は延宝6(1678)に仏国寺を創建したので,本碑が建立されたものである。銅製の亀趺に乗った銅碑であり,江戸時代の銅碑の例としてもきわめて希少。
 本碑碑文は近衛家熈(豫楽院,1667〜1736)の撰ならびに書。「高泉和尚銅碑」の名称で重要文化財に指定されている。ただし和様の大家家熈の書跡という,金石文としてはめずらしい指定理由である。すぐ隣には高泉の墓石があり,いわば高泉墓所への神道碑ともいうべき碑である。

所在地伏見区深草大亀谷古御香町(仏国寺内)
位置座標北緯34度56分36.0秒/東経135度47分08.0秒(世界測地系)
建立年正徳元年
建立者
寸 法高250(除亀趺)×幅103×奥行42cm
碑   文
[西]
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[東]
碑表之文余曽所書今茲値国師十七
回諱嗣徒等将鏤金垂于不朽因篆額
以補其闕云
 正徳元年龍集辛卯五月廿六日
 摂政太政大臣従一位家熈記
調 査2013年3月3日
備 考西面碑文末行の6字分の■は「左大臣正二位」を削除した痕跡で碑文を書いた時の家熈の官位/西面の碑文は分割して鋳造されあとで継ぎ合わされたという。そのため字高が揃っていない/碑側(北面と南面)には制作者名の鋳造文字が接着されていたようであるが,現在はほとんど脱落し支持具(ピン)が残るのみである。北面の例はここ/北面はもと「宝永三戌十月和田信濃大掾国次造」であったと東北大学狩野文庫蔵「京師巡覧記」(『史料京都見聞記』2(1991年法蔵館刊)に翻字)に記す


位置図
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