薩藩九烈士遺蹟表 碑文の大意
 志を持った男子は,自分の手によって大事をなしとげられなくても,あとに続く人が成就してくれれば満足するものである。
 幕末に開国の論議が起こったとき,幕府の体たらくは見るにたえなかった。幕府を倒して王政に復することが急務であることをみな理解はしていたが,その立場にある大名や公家に言っても,その時期ではないという答えが返ってきて,誰も実行する者はいなかった。
 このとき,薩摩藩の九烈士は同士を集めて挙兵を計画し,藩の上役が止めたが聞かずに伏見寺田屋で闘争して命を落とした。
 目的を果たさず犬死だといわれたが,自分を犠牲にしても天下を動かすことが目的だったのを人は知らないのである。後日,五条や生野や天王山で志士が蹶起し,ついに薩長の両藩の力で維新の大業を成し遂げた。これこそ彼らが期待していたことなのである。もし地下の彼らが知ることができたら,会心の笑みを浮べることだろう。
 九烈士とは,有馬新七,田中謙助,橋口伝蔵,柴山愛次郎,弟子丸龍助,橋口壮助,西田直五郎,森山新五左衛門,山本四郎である。彼らが命をおとしたのは文久2年4月23日(1862年5月21日)のことであった。
 ことし明治27年は九烈士の三十三回忌で,伏見の住人は供養を行い寺田屋の遺址に銅の碑を建て,その碑文をわたしに依頼した。わたし(碑文の筆者川田剛)はかつて宇治平等院を訪れ,源三位頼政の古跡を弔った。平家が横暴を極めるなか,失敗したとはいえ頼政の挙兵がなければ平家は滅亡にいたらなかったであろう。
 この地寺田屋は宇治から遠くないところにあり,九烈士の事績もまた頼政と似ている。頼政の古跡に感動したわたしは,だから碑文を執筆することにした。のちの世の人もわたしが頼政の古跡でやったように,しばらくたたずんで去りがたい気持ちになる者があるだろう。