田辺治之助君記念碑HU165 |
たなべはるのすけくんきねんのひ |
慶応4(1868)年正月,鳥羽伏見戦が勃発し,幕府方大坂方面へ敗走した。同5日敗軍は淀城の開門を迫ったが,藩士は城門ととざして入城を拒否した。物頭役田辺治之助は大手門の守衛を指揮し,たまたま警衛を破り侵入した者があったので,藩主が朝敵の名を被らないようにその責任をとり自決した。この碑は田辺治之助の志操を顕彰するもので,戊辰戦争勃発70年に建立された。 |
所在地 | 伏見区淀本町(淀城跡公園内) |
位置座標 | 北緯34度54分18.5秒/東経135度43分01.6秒(世界測地系) |
建立年 | 1937年 |
建立者 | (有志) |
寸 法 | 高185×幅110×奥行30cm |
碑 文 | |
[東] | |
田辺治之助君記念碑 | |
子爵稲葉正凱書 | |
[西] | |
慶応四戊辰年正月三日鳥羽伏見ノ役当時我カ淀藩主稲葉正邦公ハ | |
幕府ノ老中職トシテ江戸ニ在リ因テ藩士ハ堅ク城門ヲ鎖シテ留守 | |
ス其大手門ハ者頭役田辺治之助君ノ守ル所ナリ五日後退セル藩兵 | |
門内ニ闖入シ来ルモノアリ守兵直ニ之ヲ拒ミ出シタルモ時偶々城 | |
中ニ在リタル君ハ此ノ報ヲ聞クヤ守門ノ責任ヲ痛感シテ自刃ス其 | |
壮烈ナル実ニ士人ノ典型ト謂フベシ | |
今ヤ士道頽廃責任観念ノ缺如セルノ際今年恰モ七十周年ニ相当ス | |
ルヲ以テ我等同人君ノ高風ヲ欽慕シ相謀リ碑ヲ建テ其事実ノ梗概 | |
ヲ記シ後世ニ伝フト云爾 | |
昭和十二年九月 | |
田辺治之助君記念碑建設有志者建之 | |
石工榎並丑松 | |
調 査 | 2012年4月30日 |
備 考 |
位置図 | |