坂本龍馬忠魂碑

HU159

さかもとりょうまちゅうこんのひ
石碑(0028189)石碑周辺(0028191)

 明治37(1904)年2月の日露戦争開戦直前,明治天皇皇后(のちの昭憲皇太后)の夢に坂本龍馬が現れ,日本海軍の勝利は確実だと告げた。皇后はこの夢を坂本の忠魂のなせるものだと,誉めたたえ,偶然に坂本の手紙を持って逓信大臣大浦兼武を訪れた寺田伊助(寺田屋とせ養子)らに手元金を下賜した。寺田伊助らはこの記念に霊山にある坂本龍馬の墓前に石碑を建立し,坂本の忠義を顕彰した。それが京都霊山護国神社にある坂本龍馬忠魂碑であるが,この碑は霊山の碑と体裁・碑文が同一で,霊山の碑の忠実な複製だと思われる。

所在地伏見区南浜町(寺田屋東隣)
位置座標北緯34度55分44.2秒/東経135度45分34.07(世界測地系)
建立年1904年
建立者寺田伊助・荒木英一
寸 法高173×幅80cm
碑 文
[上面]
贈正四位坂本龍馬君忠魂碑【篆額】
         皇后宮大夫従二位勲一等子爵香川敬三題額
明治三十七年二月六日我邦ノ露国ト交際ヲ絶ツヤ
皇后陛下時ニ葉山ノ御用邸ニ在ラセラレテ不思議ニモ御夢ニ白衣ニシテ袴ヲ穿チタル三十七八歳ノ」
男子恭シク御前遥ニ跪キ微臣ハ坂本龍馬ニ候ガ今回露国ト戦端ヲ開カセ給フトモ決シテ御心ヲ煩ハ」
サセ給フコト勿レ微臣モ及バズナガラ我海軍ヲ護リ候ヘバ我邦ノ勝利ヲ得ルコト疑フベクモ候ハズ」
冀クバ御心安ク思召シ給ヘト言上スト見給フヤ其姿失セタリシカバ      陛下ニハ深ク龍馬ノ忠魂ヲ」
嘉ミシ給ヒタリトゾ其後兼武公事ヲ以テ關西地方ニ赴キ五月六日山城国伏見町ノ大黒寺ニ詣リ文久」
二年四月寺田屋騒動ノ難ニ殉セシ薩藩ノ士有馬新七以下九烈士ノ墳墓ヲ展シ又寺田屋ノ遺跡ヲモ憑」
弔セシニ六月ニ至リ寺田屋ノ親戚荒木英一其義兄寺田伊助ノ保存セル坂本氏ガ王事ニ奔走中伊助ノ」
母寺田屋とせニ与ヘタル数通ノ書翰ヲ携ヘ兼武ヲ東京ノ官舎ニ訪ヘリ兼武一見輙チ」
皇后陛下ノ御夢ヲ思ヒ合セ益事ノ不思議ナルニ感ジタルマヽ      陛下ニ拝謁シテ右ノ次第ヲ上聞シ」
其書翰ヲ御覧ニ供シ奉リタリシニ八月二十五日ニ至リ皇后宮大夫子爵香川敬三氏ヨリ      陛下ニハ」
御覧済ノ上深ク御満足ニ思召サレ殊ニ龍馬ガ国事ニ尽力シ遂ニ不慮ノ難ニ遭ヒタルヲ御哀悼アラセ」
ラレ亡霊弔慰ノ為金若干ヲ下賜セラルトノ御内旨ヲ兼武ニ伝ヘラレタリ是ニ於テ伊助英一感戴拝喜」
遂ニ相謀リテ一碑ヲ京都霊山ニ在ル坂本氏ノ墓側ニ建テムトシ兼武ニ文ヲ乞ヘリ嗚呼」
皇后陛下ガ常ニ国事ニ御心ヲ煩ハサセ給フコトノ深キト王事ニ殉セシモノヲ御追悼アラセラルヽノ」
切ナルトハ今更申スモ畏シ坂本氏ガ歿後殆ンド四十年ヲ経ルモ其英魂ハ今猶国家ヲ守護シ御夢ニマ」
デ現ハレ以テ      陛下ノ御心ヲ安ンジ奉ラムトスルニ至リテハ何ゾ其レ誠忠ナルヤ惟フニ開戦以来」
我陸海軍ノ連戦連捷スル所以ハ一ニ
大元帥陛下ノ御稜威ト將士ノ忠勇ニ由ルト雖モ亦安ゾ坂本氏ノ如キ誠忠ノ士常ニ我邦ヲ冥護スルニ」
アラザルヲ知ラムヤ感激ノ餘其顛末ヲ録シ永ク坂本氏ノ忠魂ヲ表ス
明治三十七年十二月
                     逓信大臣従三位勲一等大浦兼武撰
                                          従七位近藤富壽書
調 査2010年1月17日
備 考碑身の天を北東に向けて横たえられている

位置図
位置図

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