所在地 | 伏見区大坂町(東本願寺伏見別院前) |
位置座標 | 北緯34度55分53.9秒/東経135度45分42.6秒(世界測地系) |
建立年 | 2009年 |
建立者 | 伏見観光協会・社団法人伏見納税協会青年部会 |
寸 法 | 高110×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
| [南] |
| 会津藩駐屯地跡(伏見御堂) |
| [北] |
| 平成二十一年十二月建之 |
| 伏見観光協会 |
| (社)伏見納税協会青年部会 |
| [副碑南] |
| 会津藩駐屯地跡(伏見御堂) |
| 伏見御堂は桃山時代の慶長年間に東本願寺の第12代法主・教如が創建しまし」 |
| た。本堂は徳川家康の居城・向島城の殿舎の遺構を改築したものと伝えられ、」 |
| 大正4(1915)年に刊行された『京都府紀伊郡誌』に、寺域は徳川家康の寄進 |
| によるもので、蓮池を埋めたことから蓮池御坊とも呼ばれたと記されています。こ」 |
| こを拠点にして教如は家康に働きかけ、七条烏丸に広大な寺領を寄進され、」 |
| 本願寺から東本願寺を分派独立することに成功しました。 |
| 幕末の慶応4(1868)年1月2日、鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻、会津藩」 |
| の先鋒隊約200名が伏見京橋に上陸、ここ伏見御堂を宿陣としました。翌3日、」 |
| 薩摩藩との間で小競り合いをしている最中の午後4時頃、鳥羽方面から聞こえる」 |
| 一発の砲声に触発され、御香宮の東の高台に据えた薩摩藩の大砲が火を噴き、」 |
| 伏見奉行所を攻撃したことから伏見の町でも戦いが始まりました。本堂の畳を楯」 |
| に鉄砲の撃ち合いがあったともいわれ、建物は大きな損害を受けたと伝えられてい」 |
| ます。そのため、創建当初、建物は東向きにつくられましたが、明治18(18 |
| 83)年に南向きに縮小して建て替えられました。平成2(1990)年に建物 |
| は老朽化のために取り壊され、現在は大銀杏・鐘楼・山門が残されています。」 |
| 伏見観光協会 |
| (社)伏見納税協会 青年部会 |
| 平成21年12月 建立 |
調 査 | 2010年1月6日 |
備 考 | 副碑碑文本文は横書き・総ふりかな/ふりかなで注意を要するものはこのリスト |