会津藩駐屯地跡

HU157

あいづはんちゅうとんちあと
石碑(0028179)石碑周辺(0028180)

(解説は本碑の東に隣接する副碑碑文にゆずる)

所在地伏見区大坂町(東本願寺伏見別院前)
位置座標北緯34度55分53.9秒/東経135度45分42.6秒(世界測地系)
建立年2009年
建立者伏見観光協会・社団法人伏見納税協会青年部会
寸 法高110×幅18×奥行18cm
碑   文
[南]
会津藩駐屯地跡(伏見御堂)
[北]
平成二十一年十二月建之
   伏見観光協会
   (社)伏見納税協会青年部会
[副碑南]
                  会津藩駐屯地跡(伏見御堂)
   伏見御堂は桃山時代の慶長年間に東本願寺の第12代法主・教如が創建しまし」
た。本堂は徳川家康の居城・向島城の殿舎の遺構を改築したものと伝えられ、」
大正4(1915)年に刊行された『京都府紀伊郡誌』に、寺域は徳川家康の寄進
によるもので、蓮池を埋めたことから蓮池御坊とも呼ばれたと記されています。こ」
こを拠点にして教如は家康に働きかけ、七条烏丸に広大な寺領を寄進され、」
本願寺から東本願寺を分派独立することに成功しました。
   幕末の慶応4(1868)年1月2日、鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻、会津藩」
の先鋒隊約200名が伏見京橋に上陸、ここ伏見御堂を宿陣としました。翌3日、」
薩摩藩との間で小競り合いをしている最中の午後4時頃、鳥羽方面から聞こえる」
一発の砲声に触発され、御香宮の東の高台に据えた薩摩藩の大砲が火を噴き、」
伏見奉行所を攻撃したことから伏見の町でも戦いが始まりました。本堂の畳を楯」
に鉄砲の撃ち合いがあったともいわれ、建物は大きな損害を受けたと伝えられてい」
ます。そのため、創建当初、建物は東向きにつくられましたが、明治18(18
83)年に南向きに縮小して建て替えられました。平成2(1990)年に建物
は老朽化のために取り壊され、現在は大銀杏・鐘楼・山門が残されています。」
                                                        伏見観光協会
                                                        (社)伏見納税協会   青年部会
                                                        平成21年12月   建立
調 査2010年1月6日
備 考副碑碑文本文は横書き・総ふりかな/ふりかなで注意を要するものはこのリスト


位置図
位置図

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