伏見義民小林勘次碑HU145 |
ふしみぎみんこばやしかんじのひ |
元和年間(1615〜24)に淀川船の通行料が値上げされた時に,伏見町民の困窮を見かねて薪炭商小林勘次が幕府に直訴し,値下げが命じられた。その命を記した朱印状を江戸から伏見に持ち帰る途中,元和4(1618)年4月26日,東海道鞠子宿で勘次は急死した。勘次はその死を予期し,朱印状を魚の腹に入れて別人に伏見へ持ち帰らせた。このことにより通行料は旧に復し,伏見の町民は勘次を徳とした。以上は碑文の記すところである。あらわに記さないが勘次の死が暗殺であることを示唆している。この碑は小林勘次を義民として顕彰するものである。 |
所在地 | 伏見区下板橋町(玄忠寺内) |
位置座標 | 北緯34度56分16.0秒/東経135度45分44.8秒(世界測地系) |
建立年 | 1890年 |
建立者 | 薪炭商共進組合 |
寸 法 | 高170×幅140×奥行20cm |
碑 文 | |
[西] | |
従六位勲五等 西尾為忠 撰并書 | |
伏水有義民曰小林勘次勘次丹波人遷居伏水以鬻薪 | |
炭為業元和中角倉某木村某為澱河奉行於是澱河船 | |
銭遽騰貴諸弊随生商旅大苦之伏水市民屡請減船銭 | |
於吏而角倉木村二氏不肯也勘次憤之自奮東下訴状 | |
於幕府幕府審問遂允其請与以朱印勘次還至鞠子一 | |
夕暴死時元和四年四月廿六日也勘次逆度其死納朱 | |
印於魚腹中使人馳致之伏水於是勘次死而澱河船銭 | |
復旧諸弊悉除矣伏水市民徳勘次追思不已将立石以 | |
紀其事薪炭商共進組員来請余文因書梗概以応之蓋 | |
勘次之死去今二百七十余年家亡嗣絶而其義声之感 | |
動天下人心者愈久而愈熾云 | |
明治二十三年五月建 村寿橘刻 | |
碑文の大意 | ここをクリック |
調 査 | 2008年5月1日 |
備 考 | 境内北西隅に小林勘次墓石が立つ |
位置図 | |