所在地 | 伏見区御香宮門前町(御香宮神社内) |
位置座標 | 北緯34度55分59.1秒/東経135度46分02.1秒(世界測地系) |
建立年 | 1887年 |
建立者 | |
寸 法 | |
碑 文 | |
| [東] |
| 伏見義民之碑 |
| 内大臣三条実美書 |
| (印)(印)【白文印「藤原実美」朱文印「梨堂」】 |
| 【以上題額】 |
| いにし天明の頃伏見のさと司とれる某とかや奢つよく私多かりけれは酷吏ねちけ人」 |
| 等時を得其私を助け政あらぬ方にみたれ行民其たつきを失ひ歎きのさきり深くして」 |
| 払はむすへなかりしに里人文珠九助ぬし才賢こく志実やかにて思を潜めもろ人の為に」 |
| 身の難をかへり見す同し志の友丸屋九兵衛麹屋伝兵衛柴屋伊兵衛焼塩屋権兵衛板屋市」 |
| 右衛門伏見屋清右衛門等と密に謀心思を一にし万苦をしのきいくかへりか江戸に出て歎き」 |
| 訴ふる所あり終に此真心貫きて呉竹の伏見の里人の為に直なる道ふみ開き其苦」 |
| 厄を払らひたりしに此事半にして伝兵衛ぬしは病に死九助ぬしは事果し後天明八とせ」 |
| 正月三日九兵衛ぬしは同しき月廿三日江戸の旅寝の露と消えぬ今哉其没後百とせを」 |
| 経ぬ此里人遠を慕ひ義にいさみもゝとせも猶一日のこゝちして其なきたまを祭り其」 |
| いさをを世に伝むとす嗚呼むかしも今も鬼いはらよもきはことに茂り安し九助ぬし」 |
| の如きはそをかり払ふよき利鎌といはむ歟 明治二十年月日 海舟散人誌」 |
調 査 | 2008年4月26日 |
備 考 | 碑文は御香宮神社所蔵の三条実美・勝海舟筆碑文原本に拠り碑本体と対校していない/「海舟日記」(『勝海舟全集』21)によると,明治19年11月に佐藤金義・文殊九助が勝海舟のもとを訪れ,碑文の依頼をしている |