淀古城址・戊辰戦争砲弾跡HU131 |
よどこじょうあと・ぼしんせんそうほうだんあ |
納所にあった城を豊臣秀吉が淀君のために修築したのが古淀城である。文禄3年(1594)に廃城となった。現在の淀城址は元和9年(1623)に古淀城の南西に築城された。 慶応4(1868)年正月3日夕方,鳥羽伏見戦が勃発し,次第に淀方面に主戦場を移して,4日には妙教寺本堂内陣に砲弾が飛び込み,5日淀の地で激しい戦闘が繰り広げられ,幕府軍は八幡方面に敗走した。妙教寺には今もその砲弾を保存している。 この石標は,妙教寺が淀古城区域の南端に位置すること,および同寺附近が鳥羽伏見戦で激戦地になったことを示すものである。 |
所在地 | 伏見区納所北城堀町(妙教寺内) |
位置座標 | 北緯34度54分36.4秒/東経135度43分08.5秒(世界測地系) |
建立年 | |
建立者 | |
寸 法 | 高131×幅24×奥行13cm |
碑 文 | |
[西南] | |
此所は戦国時代の始細川管領家が築城し薬師堂 | |
淀古城址 | |
与一岩成左通淀君の居城となった淀古城の址である | |
史跡 | |
慶応四年正月四日戊辰役の際東軍砲 | |
戊辰の役砲弾貫通跡 | |
弾の飛来で本堂を貫通したその弾痕がある | |
[北東] | |
仏心 平和 | |
[北西] | |
立正 安国 | |
調 査 | 2004年2月4日 |
備 考 |
位置図 | |