鳥羽伏見の戦勃発の地小枝橋

HU059

とばふしみのせんぼっぱつのちこえだばし
石碑石碑周辺

 大政奉還し大坂城にいた徳川慶喜(1837〜1913)は薩摩を討つため上洛を決意し,慶応4(1868)年正月3日,幕府軍本隊を鳥羽街道と伏見街道に分けて京都に進軍した。鳥羽街道を北上する幕府軍と,これを阻止しようと竹田・城南宮周辺に布陣した官軍は,この地小枝橋で衝突した。幕府軍1万5千人と官軍6千人の激しい戦いであった。この石碑は,翌年夏まで続いた戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見戦の勃発地を示すものである。

所在地伏見区中島御所ノ内町(鳥羽離宮跡公園内)
位置座標北緯34度56分59.6秒/東経135度44分38.2秒(世界測地系)
建立年1998年
建立者京都伏見ライオンズクラブ
寸 法高165×幅210×奥行42cm
碑 文
[南]
鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)勃発の地
                  小枝橋
      小枝橋は、慶応四年(一八六八)正月三日に
   京都を目指す幕府軍とそれを阻止しようとする
   新政府軍が衝突し、翌年の夏まで続いた戊辰戦争の
   発端となった鳥羽伏見の戦いが始まったところです。
   大政奉還し大阪城にいた徳川十五代将軍慶喜は
   薩摩を討つため上洛を決意します。
   大阪から淀川を上がって竹田街道の京橋で上陸した
   先遣隊に続き、幕府軍本隊が鳥羽街道と伏見街道に
   分かれて京都に進軍しようとします。
   これを阻止しようとする新政府軍は、竹田、城南宮
   周辺に布陣し、鳥羽街道を北上する幕府軍と
   ここ小枝橋で衝突します。
   「将軍様が勅命で京に上がるのだから通せ」
   という幕府軍と、
   「勅命ありとは聞いていない、通せない」
   という新政府軍の押し問答が続き、幕府軍が強行突破
   しようとすると、薩摩藩がア−ムストロング砲
   を発射、この砲声を合図に幕府軍一万五千人と
   新政府軍六千人の激しい戦いが始まります。
      こうして始まった戊辰戦争は、翌年の函館五稜郭の
   戦いまで続いて新政府軍が勝利します。
   新しい時代「明治」、ここ伏見から始まったとも
   いえます。
[南最下段]
贈   京都伏見ライオンズクラブ         平成十年七月建立
調 査2002年3月4日
備 考

位置図
位置図

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