淀城址HU048 |
よどじょうし |
淀城は,宇治・桂川合流点と木津川に挟まれた川中の島にあり,廃城となった伏見城に代り,京都警衛の拠点となった。元和9(1623)年松平定綱(1592〜1651)が最初の城主となり,享保8(1723)年稲葉正知(1685〜1729)が,下総佐倉より移封され明治維新に及ぶ。戊辰戦争時,幕府軍の宿泊所となり,慶応4(1868)年正月2日,この城から京都に向けて進軍した。5日には敗走の幕府軍の入城を拒んだ。この石標は淀城の跡を示すものである。なお,淀君が住んだ淀古城は,別の場所であり,文禄4(1595)年廃城となった。 |
所在地 | 伏見区淀本町(淀城跡公園内) |
位置座標 | 北緯34度54分18.1秒/東経135度43分01.6秒(世界測地系) |
建立年 | 1923年 |
建立者 | 稲葉侯御移封二百年記念会 |
寸 法 | 高186×幅130×奥行40cm |
碑 文 | |
[東] | |
淀城址 | |
子爵稲葉正凱 | |
[西] | |
当淀城ハ元和九年六月秀忠将軍ノ松平越中守定綱侯ニ伏 | |
見城ノ遺材ヲ与ヘテ営築セシメシヲ以テ始メトス後永井 | |
信濃守尚政石川主殿頭憲之松平丹波守光熙松平左近将監 | |
乗邑ノ四侯ヲ経テ享保八年五月朔日稲葉丹後守正知侯下 | |
総佐倉ヨリ移封セラレテ茲ニ治ヲ敷キ子孫世襲明治維新 | |
ニ及フ実ニ二百五十有餘年ナリ明治七年全部破却今ハ纔 | |
ニ其遺址ヲ存スルノミ今茲大正十二年恰モ御移封後満二 | |
百年ニ相当スルヲ以テ報本反始ノ誠ヲ効スヘク同志五百 | |
有餘人相謀リ五月六日ヲ卜シテ城址ニ記念会ヲ開キ今又 | |
石ヲ立テ丶其治革ヲ略叙シ一ハ以テ記念ノ意ヲ寓シ一ハ | |
以テ後世考古ノ資ニ供スト爾カ云フ | |
大正十二年五月六日 | |
稲葉侯御移封二百年記念会建之 | |
調 査 | 2002年2月13日 |
備 考 |
位置図 | |