戊辰役東軍戦死者碑

HU043

ぼしんのえきとうぐんせんししゃのひ
石碑(0029589)石碑周辺(0028590)

 この碑は、慶応4(1868)年正月に勃発した鳥羽伏見戦の東軍(幕府側)戦死者の招魂碑である。
 明治40年に東軍戦死者四十年祭典が京都十七日会により挙行され,あわせて15基の碑が建立された。十七日会は徳川家康の命日である十七日(元和2年4月17日)にちなんだ,徳川家恩顧者の会である。
 碑はふたつのカテゴリーにわけて建立された。一は「戊辰之役東軍戦死者之碑」と刻んだ3基の招魂碑(この碑もそのひとつ)。一は「戊辰役東軍戦死者埋骨地」と刻んだ12基の碑(墓石)である。それぞれのカテゴリー内の碑は同一形式で,刻まれた文字も表題部は同じ。招魂碑は榎本武揚書。
 3基の招魂碑に記された埋骨地碑は,伏見町悟真寺内招魂碑が同寺内2か所。納所村妙教寺内招魂碑が悲願寺墓地・愛宕茶屋・八番楳木。淀町長円寺相招魂碑が同寺内・光明寺墓地・大専寺・文相寺・東運寺・八幡番賀。
 上記の埋骨地碑を合計すると11基になるが,長円寺内には2基の埋骨地碑が現存するから,所在は10か所で碑は12基ということになる。招魂碑・埋骨地碑計15基は百年以上たった現在もすべて当初の建立地,あるいはその近辺に残存し,希有な例として注目できる。いしぶみデータベースには15基すべてを収録した。その一覧はここ
 なお,この建碑事業の経緯は京都十七日会編『戊辰東軍戦死者四十年祭典及墓標建設報告書』(1907年同会刊)に詳しい。

所在地伏見区淀新町(長円寺内)
位置座標北緯34度53分58.8秒/東経135度43分05.7秒(世界測地系)
建立年1907年
建立者京都十七日会
寸 法高178×幅30×奥行30cm
碑 文
[北]
戊辰役東軍戦死者之碑
[南]
子爵榎本武揚書(印)(印)【印文「武揚之章」「梁川」】
[西]
明治四十年 京都十七日会建之
[東]
戦死者埋骨地六所ニ在本寺一淀町光明寺墓地
一大専寺一文相寺一東運寺及八幡番賀
調 査2015年9日13日
備 考

位置図
位置図

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