寺田屋HU040 |
てらだや |
寺田屋は伏見の船宿。文久2(1862)年4月23日,薩摩藩急進派有馬新七(1825〜62)以下35名が関白九条尚忠(1798〜1871)と京都所司代の殺害を計画して集結した。薩摩藩は藩士を鎮圧に向かわせたが両者乱闘となり,有馬以下9名が死亡した(寺田屋騒動)。慶応2(1866)年正月21日坂本龍馬(1836〜67)も伏見奉行所の捕方に襲われたが,難を逃れた。この石標は,度々維新史の舞台となった寺田屋を示すものである。寺田屋は鳥羽伏見の戦に罹災し,現在の建物はその後再建したものである。 |
所在地 | 伏見区南浜町 |
位置座標 | 北緯34度55分48.9秒/東経135度45分34.8秒(世界測地系) |
建立年 | 1961年 |
建立者 | 安達清 |
寸 法 | 高178×幅23×奥行23cm |
碑 文 | |
[南] | |
史蹟 寺田屋 | |
[東] | |
薩藩九烈士殉難の趾 | |
[西] | |
坂本龍馬先生遭難の趾 | |
[北] | |
昭和三十六年百年祭記念 第十四代当主安達清之建 | |
調 査 | 2002年2月12日 |
備 考 | 寺田屋再建関係調査報告書はここ |
位置図 | |