伏見奉行所跡HU038 |
ふしみぶぎょうしょあと |
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伏見奉行所は,慶長5(1600)年に創設されたが,実際は寛文6(1666)年水野石見守忠貞(1597~1670)が伏見支配に専念するようになっったのを最初とする。与力10騎,同心50人が属し,伏見市街と周辺8カ村(享保以降9カ村)を支配した。慶応3(1867)年廃止。慶応4(1868)年正月3日の鳥羽伏見戦では,幕府軍は会津藩を主とした1500人が伏見奉行所等に入り,御香宮に陣を張った薩摩藩将兵800人の官軍と対峙した。激しい戦いとなり伏見奉行所は灰燼に帰した。この石標は伏見奉行所の跡を示すものである。 |
所在地 | 伏見区西奉行町(桃陵団地内) |
位置座標 | 北緯34度55分51.8秒/東経135度45分57.1秒(世界測地系) |
建立年 | 1968年 |
建立者 | 京都市 |
寸 法 | 高105×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[南西] | |
伏見奉行所跡 | |
[北西] | |
昭和四十三年十一月 京都市 | |
調 査 | 2002年2月12日 |
備 考 |
位置図 | |
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