維新戦跡HU028 |
いしんせんせき |
大政奉還し大坂城にいた徳川慶喜(1837〜1913)は薩摩を討つため上洛を決意,慶応4(1868)年正月3日,幕府軍本隊を鳥羽街道と伏見街道に分けて京都に進軍した。官軍の伏見守備は薩摩藩で将兵800人が御香宮を中心に固め,幕府軍は会津藩が主力で新選組等を加えた1500人がこの付近の伏見奉行所や寺に入って対峙した。この石標は,翌年夏まで続いた戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見戦跡を示すものである。なお,この地は陸軍第十六師団隷下の工兵第十六大隊の衛戍地であり,建立者はその一員であろう。 |
所在地 | 伏見区桃陵町(桃陵中学校内) |
位置座標 | 北緯34度55分42.0秒/東経135度44分58.1秒(世界測地系) |
建立年 | 1936年 |
建立者 | (工兵第十六大隊カ)第三中隊藤田・森部 |
寸 法 | 高80×幅61×奥行38cm |
碑 文 | |
[南西] | |
維新戦跡 | |
陵南 | |
[北東] | |
二五九六年夏 | |
第三中隊 | |
藤田上■ | |
森部一■ | |
調 査 | 2002年2月12日 |
備 考 |
位置図 | |