伏見城石垣HU027 |
ふしみじょういしがき |
豊臣秀吉(1536〜98)は,天正20(1592)年伏見に隠居屋敷を作り,翌年伏見屋敷を造替し城郭とし豊臣氏の本拠とした。文禄5(1595)年大地震で倒壊するが再建され,秀吉は慶長3(1598)年この地で没した。秀吉没後,徳川家康(1542〜1616)が預かったが,慶長5(1600)年関が原戦の時に西軍により焼かれ,その後再建されたが,元和9(1623)年幕命により取り壊され,諸殿舎は各地に引き取られ分散した。この石標は,豊臣秀吉の伏見城東南壁にあたる石垣を示すものである。 |
所在地 | 伏見区桃山町伊庭(桃山東小学校内) |
位置座標 | 北緯34度56分08.4秒/東経135度47分11.2秒(世界測地系) |
建立年 | 1986年 |
建立者 | 京都市 |
寸 法 | 高118×幅20×奥行20cm |
碑 文 | |
[南] | |
京都市登録史跡 | |
伏見城石垣 | |
[東] | |
昭和五十九年六月一日登録 | |
昭和六十一年三月三十一日設置 | |
[北] | |
京都市 | |
調 査 | 2002年2月12日 |
備 考 |
位置図 | |