鳥羽伏見戦跡HU025 |
とばふしみせんせき |
大政奉還し大坂城にいた徳川慶喜(1837〜1913)は薩摩を討つため上洛を決意し,慶応4(1868)年正月3日,幕府軍本隊を鳥羽街道と伏見街道に分けて京都に進軍した。この地に布陣した薩摩砲兵の一隊と幕府軍の間で戦いが繰り広げられた。この石標は,翌年夏まで続いた戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見戦跡,小枝橋を示すものである。 |
所在地 | 伏見区中島秋ノ山町(小枝橋東詰) |
位置座標 | 北緯34度57分01.9秒/東経135度44分35.4秒(世界測地系) |
建立年 | 1968年 |
建立者 | 京都市 |
寸 法 | 高115×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[南] | |
鳥羽伏見戦跡 | |
[西] | |
昭和四十三年十一月 京都市 | |
調 査 | 2002年2月13日 |
備 考 | 京道/城南離宮【道標】(HU099)と並び立つ |
位置図 | |