鳥羽離宮田中殿跡HU021 |
とばりきゅうたなかどののあと |
白河法皇(1053〜1129)が応徳3(1086)年譲位と同時に,鳥羽に造営した院御所を鳥羽離宮といい,全域180町に及ぶ広大なものであった。白河院没後,鳥羽法皇(1103〜56)も引き続き28年間院政を行ったが,その時建てられたのが田中殿(御所)であった。田中殿は皇女八条院(1136〜1211)の御所として法皇が造り,殿内には御堂(金剛心院・阿弥陀堂等)が附属していた。この石標は,鳥羽法皇院政の地鳥羽離宮田中殿の跡を示すものである。国指定史跡「鳥羽殿跡」(昭和53年指定)のうち。 |
所在地 | 伏見区竹田田中殿町(田中殿公園内) |
位置座標 | 北緯34度57分01.6秒/東経135度44分48.7秒(世界測地系) |
建立年 | 1978年 |
建立者 | 竹田史跡保存会 |
寸 法 | 高105×幅53×奥行11cm |
碑 文 | |
[東] | |
史跡鳥羽離宮 | |
田中殿之跡 | |
[西南] | |
由緒 | |
十二世紀半に造営された田中殿には保元の乱の | |
直前に崇徳上皇がおられ白河北殿へうつられ | |
て源平二氏争乱の幕は切っておとされた。この | |
殿はもともと八条院ワ子内親王の御所として鳥 | |
羽法皇がつくられ中に御堂が附属していた。 | |
昭和五十二年五月 | |
竹田史跡保存会 | |
調 査 | 2002年2月13日 |
備 考 |
位置図 | |