博労尼講詰所趾碑HI195 |
ばくろうあまこうつめしょあとのひ |
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この地にはもと大阪の博労尼講詰所が置かれ,講員参詣者の宿泊休憩にあてられていた。博労尼講は大阪三軒屋の妙証という尼が18世紀はじめに結成した講で,毎年畳表を新調し大谷本廟に納めていた。享保8(1723)年に寂如門主が本廟内に敷地を与え詰所を建てさせた。 近代以降大阪から日帰り参詣ができるようになったので,宿泊施設としての詰所は不要になり,敷地を返還することになった。この碑は詰所の旧所在を示すものである。 |
所在地 | 東山区五条橋東六丁目(大谷本廟内) |
位置座標 | 北緯34度59分37.7秒/東経135度46分38.5秒(世界測地系) |
建立年 | 1942年 |
建立者 | |
寸 法 | 高133×幅73×奥行25cm |
碑 文 | |
[西] | |
博労尼講詰所趾碑 | |
正徳之昔大阪三軒家有妙証尼者塩屋吉良兵衛 | |
母固篤信嘗奨誘有縁同行結講社毎年新調畳表 | |
納大谷享保八年寂如宗主授消息下付講名大阪 | |
博労尼講加之選地于大谷門内許設詰所以供祖 | |
廟参拝之便自此講中益昌後又任家具椀方御用 | |
斡旋不尠宗主更授消息励之爾来久続以*今日 | |
無嘗退転矣輓近交通頓開無更須宿泊因返還地 | |
所寄進建物嗚呼妙尼唱首之績可#乎哉講中永 | |
年護持之功亦大也矣聊叙梗概為趾碑云 | |
昭和十七年九月 | |
碑文の大意 | ここをクリック |
調 査 | 2014年9月27日 |
備 考 |
碑文中「*」字 ![]() | 碑文中「#」字 ![]() |
位置図 | |
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