博労尼講詰所趾碑

HI195

ばくろうあまこうつめしょあとのひ
石碑(0029536)石碑周辺(0029537)

 この地にはもと大阪の博労尼講詰所が置かれ,講員参詣者の宿泊休憩にあてられていた。博労尼講は大阪三軒屋の妙証という尼が18世紀はじめに結成した講で,毎年畳表を新調し大谷本廟に納めていた。享保8(1723)年に寂如門主が本廟内に敷地を与え詰所を建てさせた。
 近代以降大阪から日帰り参詣ができるようになったので,宿泊施設としての詰所は不要になり,敷地を返還することになった。この碑は詰所の旧所在を示すものである。

所在地東山区五条橋東六丁目(大谷本廟内)
位置座標北緯34度59分37.7秒/東経135度46分38.5秒(世界測地系)
建立年1942年
建立者
寸 法高133×幅73×奥行25cm
碑 文
[西]
            博労尼講詰所趾碑
正徳之昔大阪三軒家有妙証尼者塩屋吉良兵衛
母固篤信嘗奨誘有縁同行結講社毎年新調畳表
納大谷享保八年寂如宗主授消息下付講名大阪
博労尼講加之選地于大谷門内許設詰所以供祖
廟参拝之便自此講中益昌後又任家具椀方御用
斡旋不尠宗主更授消息励之爾来久続以*今日
無嘗退転矣輓近交通頓開無更須宿泊因返還地
所寄進建物嗚呼妙尼唱首之績可#乎哉講中永
年護持之功亦大也矣聊叙梗概為趾碑云
 昭和十七年九月
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調 査2014年9月27日
備 考


碑文中「*」字  碑文中「#」字  

位置図
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