伊藤博文詩碑 碑文の大意(碑陰) |
(北面の詩) むかしを追憶すると感きわまってしまう 木戸公がなくなり三十三年もたったとは夢のようだ 木戸公の容姿は今でもはっきりと覚えている 公の名声と人気は歴史のなかで卓絶している 蕭何・曹参・房玄齢・杜如晦といった名臣など忠義の点で比べものにならない 諸葛孔明や楠正成クラスにも匹敵する 木戸公の墓に詣で新緑の桜に公を悼む詩を書き付けると あまりの悲哀にほととぎすが紅い血を吐くほど啼くのが聞こえる (南面) 中井慈眼翁は早くから京都の名勝名刹の保存に尽力し,その努力で大いに風致が増した。その功績は大きい。ことしの夏,松菊木戸孝允公の三十三回忌に伊藤公が墓に詣で詩を作った。中井翁はその詩を石に刻んで東山に建て,東山の風致をよりいっそう増して,木戸公と伊藤公の業績をひとびとが敬慕できるようにしたいと計画した。久邇宮邦彦王もこの計画に賛成し篆額をたまわった。中井翁は碑文を書いてほしいとわたし(三島毅)に依頼した。 伊藤公は木戸公の三十三回忌から一年もたたないうちに満洲で暗殺された。まことに惜しむべきことである。しかし伊藤公は実に木戸公の遺業を継承しさらに大きなものにした。後世の伊藤公をほめたたえることは,伊藤公が木戸公をほめたたえることにも勝るものであろう。表面に刻んだ詩は伊藤木戸両公をあわせてほめたたえるものにほかならない。この碑を見た東山に遊ぶ者の中から発憤して両公の遺業を継承する者が出るかもしれない。だからこの碑は東山の風光を増すだけのものではないのである。 |