漏世公子及寿芳夫人遷墓碑 国松墓碑陰記 |
漏世院殿雲山智西大童子者右 大臣豊臣秀頼公庶長子国松君 法号也元和元年五月大坂城陥 国松君年甫八歳乳母抱之潜匿 伏見商家徳川氏物色甚急二十 三日斬于京師六条磧松丸請収 遺骸葬京極誓願寺寺係松丸再 興松丸即淀君妹居伏見松丸故 称松丸今茲戊戌豊国公三百年 祭探捜旧蹟得一断碣于松丸墓 側苔触石■文字僅可読即国松 君墓也因修其塋域建墓石改刻 ■■■冥福云 明治三十一年戊戌十月朔日 豊国会長正四位勲四等黒田長成書 *碑陰記は文字が摩滅し読みがたい所が多いので『京都名家墳墓録』誓願寺の条の翻字を参考にして作成した |