大西郷・月照謀議旧趾HI156 |
だいさいごう・げつしようぼうぎのきゅうし |
清水寺成就院の僧月照(1813〜58)は尊王攘夷運動に身を投じたが,安政の大獄で幕府の追求を受け,安政5(1858)年鹿児島に逃れた。薩摩藩は後難を恐れ月照の鹿児島滞在を許さなかった,進退きわまった月照は西郷隆盛(1827〜1877)とともに錦江湾に身を投じたが,西郷は助かり月照のみが命を落とした。清閑寺には郭公亭という茶室があり,そこで両人が謀議をこらしたと伝えるが,友松圓諦『月照』(1961年吉川弘文館刊)には根拠のない伝承だと記す。 |
所在地 | 東山区清閑寺山ノ内町(清閑寺内) |
位置座標 | 北緯34度59分23.8秒/東経135度47分17.9秒(世界測地系) |
建立年 | 1919年 |
建立者 | 中村天一 |
寸 法 | 高175×幅28×奥行28cm |
碑 文 | |
[南] | |
大西郷月照[王政復古]謀議旧趾【[ ]内雙行】 | |
[西] | |
陸軍大将男爵土屋光春書 | |
[北] | |
大正八年二月 紀元節日 | |
[東] | |
奇術元祖 中村天一建之 | |
調 査 | 2012年2月9日 |
備 考 | 建立者中村天一は有名な松旭斎天一(初代・二代とも服部姓)とは別人だが詳細は不明 |
位置図 | |