西山国師御終焉地

HI096

せいざんこくしごしゅうえんのち
石碑(0027599)石碑周辺(0027600)

 西山国師は浄土宗西山派の祖である證空(1177〜1247)のこと。みずから開いた白河遣迎院で没した。遣迎院はのちに二つに分かれ,一つは寺町通広小路上る(現上京区)に移り,さらに移転して北区鷹峯光悦町に浄土真宗寺院として現存する。もう一つの前にこの石標が立ち,南遣迎院とも称される。碑文南面はこれを指す。
 建立者の神南辺(神辺)隆光は和泉国(現大阪府)堺の人で,佐野精一「京の碑」5(『京都民報』1978年4月30日付)によれば天保12(1841)年に没するまで諸国に道標や石標を建立したという。
 なお碑文西面に補刻して「鑑智」と記すのは,寛政8(1796)年に贈られた鑑智国師の号を指し,この石標がそれ以前に建立された可能性を示唆する。

所在地東山区本町十九丁目(遣迎院前)
位置座標北緯34度58分27.1秒/東経135度46分15.0秒(世界測地系)
建立年
建立者神南辺隆光
寸 法高102×幅24×奥行24cm
碑 文
[西]
鑑智
   西山国師御終焉之地
[北]
泉州堺   神南辺隆光
[南]
南遣迎院
調 査2003年4月21日
備 考

位置図
位置図

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