道元禅師荼毘御遺跡塔HI081 |
どうげんぜんじだびごいせきとう |
曹洞宗の開祖道元(1200〜53)は,越前国に永平寺を開いたが,病気療養のため上洛し,弟子覚念の西洞院高辻の邸宅に滞在中に没した。弟子等がこの地東山赤築地で荼毘に付した。この石標は道元が荼毘に付された地を示すものである。 |
所在地 | 東山区鷲尾町 |
位置座標 | 北緯35度00分06.4秒/東経135度46分50.9秒(世界測地系) |
建立年 | 1965年 |
建立者 | |
寸 法 | 高150×幅34×奥行20cm |
碑 文 | |
[西] | |
曹洞宗高祖道元禅師荼毘御遺跡之塔 | |
永平七十一世遠孫比丘瓏仙教書(印)(印) | |
[東] | |
曹洞宗高祖道元禅師は内大臣久我通親の子、十三才の春叡山に上り出家得度、天台の教学を修め、」 | |
更に内外の智識に道を訪ね遂に大宋国に渡って天童山の如浄禅師より釈迦年尼仏正伝の仏法を相続」 | |
して帰国せらる。後興聖寺、永平寺を開山日本曹洞の初祖也、建長四年秋病を発し翌年京に帰り西洞」 | |
院高辻の俗弟子覚念の邸に病を療ぜらるゝも八月廿八日御歳五十四才で遂に遷化せらる。直ちに」 | |
合龍を天神裏の小庵に移し遺弟等東山赤築地の当処に於いて荼毘に付す。爰に京都府下の法孫」 | |
報恩の微意を表し謹んで建之」 | |
京都府曹洞宗宗務所長 | |
維時昭和四十年八月廿九日 | |
鷹峰龍乗 | |
調 査 | 2002年10月15日 |
備 考 |
位置図 | |