元和キリシタン殉教の地HI055 |
げんなきりしたんじゅんきょうのち |
江戸幕府のキリシタン弾圧は,慶長17(1612)年に始まり,翌年には京都にも波及し,大坂冬の陣(1614)が起こるまで続いた。二回目の弾圧は,元和年間(1615〜23)に始まり,元和5(1619)年秀忠(1579〜1632)上洛に際し,ますます厳しくなった。秀忠は伏見でキリシタン投獄者のことを知り,老若男女の区別なく火あぶりの刑を命じ,52人が大八車に積み込まれ,六条河原で悲惨な最期を遂げた。これ以後京都ではキリシタンが歴史の表舞台に登場することはなかった。この石標はキリシタン殉教の跡である六条河原を示すものである。 |
所在地 | 東山区川端通正面上る西側 |
位置座標 | 北緯34度59分31.0秒/東経135度46分03.5秒(世界測地系) |
建立年 | |
建立者 | 京都市 |
寸 法 | 高93×幅90×奥行42cm |
碑 文 | |
[東] | |
元和キリシタン | |
殉教の地 | |
[西面プレート] | |
京都市文化観光局観光部振興課 | |
寄贈 京都元和の記念碑を建てる会 | |
調 査 | 2002年6月12日 |
備 考 |