大谷本願寺故地HI038 |
おおたにほんがんじこち |
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| 弘長2(1262)年に没した親鸞(1173〜1262)は,鳥辺野北の大谷に葬られ,末娘の覚信尼(1224〜83)が文永9(1272)年に現在の知恩院三門北の崇泰院あたりに廟堂を営み,遺骨を安置した。その堂は内紛のため破壊されたが,三世覚如(1270〜1351)が再建し専修寺と号し,さらに本願寺と改称した。廟堂は江戸時代初頭東山五条坂西大谷に移った。この石標は,本願寺の起源である親鸞の廟堂跡を示すものである。 |
| 所在地 | 東山区林下町(崇泰院前) |
| 位置座標 | 北緯35度00分22.0秒/東経135度46分54.6秒(世界測地系) |
| 建立年 | 1973年 |
| 建立者 | 西本願寺 |
| 寸 法 | 高195×幅60×奥行60cm |
| 碑 文 | |
| [西] | |
| 大谷本願寺故地 | |
| [東] | |
| 昭和四十八年三月 | |
| 文永九年親鸞聖人の息女覚信尼公は 門 | |
| 弟等と協力して その住地に聖人の廟堂 | |
| を建てた。即ち本願寺の起源である廟堂 | |
| は江戸時代初頭東山五条坂西大谷に移つ | |
| たが 当初の地はこの崇泰院の裏の辺に | |
| 当る | |
| 西本願寺 | |
| 調 査 | 2002年2月19日 |
| 備 考 |
| 位置図 | |
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