青木聾米宅蹟HI024 |
あおきろうべいたくあと |
青木聾米(1767〜1833)は,祇園の茶屋「木屋」に生まれ,通称木屋佐兵衛。号を木米といい,晩年に聴覚を失ったため聾米と称した。29歳で作陶を志し,奥田頴川に入門。仁阿弥道八・永楽保全とともに幕末京焼の三名工といわれた。この石標は青木木米(聾米)邸宅の跡を示すものである。 |
所在地 | 東山区川端通四条上る東側(白川畔) |
位置座標 | 北緯35度00分18.7秒/東経135度46分20.9秒(世界測地系) |
建立年 | 1929年 |
建立者 | 京都史蹟会 |
寸 法 | 高134×幅20×奥行19cm |
碑 文 | |
[東] | |
陶匠青木聾米宅蹟 | |
[南] | |
京都史蹟会建 | |
[西] | |
寄附主洛陶会 | |
[北] | |
昭和四年六月 | |
調 査 | 2002年2月20日 |
備 考 |