明保野亭跡HI018 |
あけぼのていあと |
明保野亭は,幕末に志士たちの密議の場となった料亭であった。元治元(1864)年6月10日,池田屋事変の残党狩で探索中の会津藩士と新選組は,明保野亭に不審者を認め槍で刺して捕えた。それが土佐藩士麻田時太郎であったため,公武合体に尽くす会津・土佐両藩の関係悪化を怖れ,刺した会津藩士柴司と麻田の両名は共に自刃した。この石標は明保野亭の跡を示すものである。ただし,明保野亭の旧地は,この石標よりやや北東である。 |
所在地 | 東山区清水二丁目(産寧坂東側) |
位置座標 | 北緯34度59分37.8秒/東経135度46分51.1秒(世界測地系) |
建立年 | |
建立者 | |
寸 法 | 高71×幅46×奥行13cm |
碑 文 | |
[南] | |
(図あり) 維新 | |
明保野亭跡 | |
調 査 | 2002年2月21日 |
備 考 |
位置図 | |