明保野亭跡

HI018

あけぼのていあと
石碑(0007704)石碑周辺(0007707)

 明保野亭は,幕末に志士たちの密議の場となった料亭であった。元治元(1864)年6月10日,池田屋事変の残党狩で探索中の会津藩士と新選組は,明保野亭に不審者を認め槍で刺して捕えた。それが土佐藩士麻田時太郎であったため,公武合体に尽くす会津・土佐両藩の関係悪化を怖れ,刺した会津藩士柴司と麻田の両名は共に自刃した。この石標は明保野亭の跡を示すものである。ただし,明保野亭の旧地は,この石標よりやや北東である。

所在地東山区清水二丁目(産寧坂東側)
位置座標北緯34度59分37.8秒/東経135度46分51.1秒(世界測地系)
建立年
建立者
寸 法高71×幅46×奥行13cm
碑 文
[南]
(図あり)   維新
                  明保野亭跡
調 査2002年2月21日
備 考

位置図
位置図

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