粟田口HI016 |
あわたぐち |
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| 粟田口は,三条通の白川橋以東,蹴上附近までの地名。平安遷都以前から粟田郷と呼ばれ粟田氏が本拠としていた。遷都後は,東海・東山・北陸三道から京都への入口として交通の要衝となった。京の七口の一つで,三条口・三条橋口・大津口ともいわれた。近世には,東海道五十三次の終点近くとして賑わった。平安末期以来この附近には刀鍛冶が住み,また陶磁器粟田焼の産地として知られた。この石標は粟田口を示すものである。 |
| 所在地 | 東山区神宮道通三条下る東側(粟田小学校前) |
| 位置座標 | 北緯35度00分33.0秒/東経135度46分57.2秒(世界測地系) |
| 建立年 | 1970年 |
| 建立者 | 京都市 |
| 寸 法 | 高113×幅18×奥行18cm |
| 碑 文 | |
| [西] | |
| 粟田口 | |
| [北] | |
| 昭和四十五年三月 京都市 | |
| 調 査 | 2002年2月19日 |
| 備 考 |