今熊野猿楽HI008 |
いまくまのさるがく |
猿楽は,古代宮廷の余興や寺社の祭礼に興行されていたものに,鎌倉期歌舞的要素が付加されたものであり,能楽の源流とされている。大和結崎座の観阿弥(1333〜84)と子世阿弥(1363〜1443)によって,応安7(1374)年,この地今熊野神社の社頭で,室町幕府三代将軍足利義満(1358〜1408)の御前能として演ぜられたことにより京中で評判となり,将軍家や武家の後ろ盾を得て発展していった。この石標は今熊野勧進猿楽を記念するものとして建てられたものである。 |
所在地 | 東山区今熊野椥ノ森町(新熊野神社内) |
位置座標 | 北緯34度59分05.0秒/東経135度46分25.3秒(世界測地系) |
建立年 | 1980年 |
建立者 | 今熊野猿楽復興委員会 |
寸 法 | 高101×幅115×奥行18cm |
碑 文 | [南] |
能 | |
[北] | |
今熊野猿楽復興委員会 | |
会長 吉村孫三郎 | |
新熊野神社 | |
宮司 尾竹 晃 | |
復興委員 | |
東 勇次 田中 稔 | |
井上嘉久 橋本誠三郎 | |
内海文雄 長谷川太郎 | |
梅原 猛 檜常太郎 | |
尾竹 晃 林屋辰三郎 | |
片粕三郎 前田政一 | |
片山博太郎 山内常吉 | |
木村清一 山口泰弘 | |
金剛 巖 吉田督識 | |
小西壽一 吉村孫三郎 | |
瀬本 順 渡会恵介 | |
昭和五十五年庚申十月十六日 | |
[副碑南] | |
王朝の昔から神事や後宴の法楽に演ぜられた猿楽は | |
大和結崎座の大夫観阿弥とその子世阿弥によって今日 | |
伝統芸術として親しまれる能にまで仕上げられた その | |
端緒となった時は今から六百余年前の応安七年 | |
場所はここ今熊野の社頭であった | |
古く八百二十年前永歴元年後白河上皇が御願 | |
をもって紀伊熊野の森嚴なたたずまいを移されたこの | |
地で猿楽能を見物した青年将軍足利義満は常時 | |
十二歳の世阿弥の舞容に感銘したそして世阿弥を | |
通して能の大成を後援しついに幕府の式楽として採 | |
用したのである | |
現代の能の隆盛につけてもその日のあでやかな世阿弥の | |
風姿を知る老樟の下に往時を追懐し今熊野猿楽の | |
復興を志ざす人々が一碑を建立してこの史実を記念 | |
することになった ここに請われるまま碑銘の文字を | |
世阿弥自筆本花鏡のなかゝら撰ぶとともにその由来を | |
録して社頭の繁栄と能の発展を併せ祈願するしだい | |
である | |
昭和五十五年庚申十月十六日 | |
文学博士 林屋辰三郎 | |
[副碑北] | |
【原碑は三段に記す】 | |
尾竹 晃 田中 稔 | |
吉村孫三郎 森 遼作 | |
福田松平 奥森 秀藤 | |
辻村安右ヱ門 三洋化成工業(株) | |
馬場武義 大都建設工業(株) | |
桐村光一 (株)大彿 | |
木村清一 松井信史朗 | |
伊藤満三郎 池田秀雄 | |
片山博太郎 桧 常太郎 | |
井上嘉久 中島国夫 | |
金剛 巖 吉川 清 | |
山口泰弘 井上春峰 | |
小西寿一 竹内美郎 | |
安田多七 馬場 昇 | |
川北敏雄 山登盛衛 | |
江見 孟 都野久子 | |
池田好範 奥谷 徹 | |
長谷川春実 高井広治 | |
尾竹正枝 (株)三昌製作所 | |
山本康裕 京都相互銀行今熊野支店 | |
協和銀行東山支店 綾小路高倉神明町 | |
京都信用金庫東山支店 直岩ふじい | |
長谷川米男 小林スミ | |
安藤 進 三好卯三郎 | |
外村与左ヱ門 尾竹慶久 | |
林 繁治郎 尾竹寛子 | |
永末英一 尾竹正啓 | |
渡会恵介 尾竹俊延 | |
山内常吉 川北周吉 | |
能 英樹 野村 隆 | |
前田政一 小西君枝 | |
調 査 | 2002年2月12日 |
備 考 |
位置図 | |