粟田焼発祥地HI001 |
あわたやきはっしょうのち |
粟田焼は洛東粟田地域で生産された陶器の総称で,いわゆる京焼の一つ。元来は粟田口焼の名称であったが,窯場が粟田一帯に拡大されたため粟田焼といわれるようになった。寛永初年(1624)頃,三文字屋九右衛門が瀬戸より来て粟田口三条に開窯したのに始まる。初期は銹絵・染付陶器を生産したが,野々村仁清(生没年未詳)が御室窯で上絵付色絵陶器を完成後は色絵の高級陶器を焼き代表的窯場となった。しかし,明治維新後は衰微の一途を辿った。この石標は粟田口界隈が粟田焼発祥地であることを示すものである。 |
所在地 | 東山区三条通神宮道通東入南側(粟田神社参道) |
位置座標 | 北緯35度00分33.9秒/東経135度47分01.3秒(世界測地系) |
建立年 | 1989年 |
建立者 | 粟田焼保存研究会 |
寸 法 | 高177×幅30×奥行30cm |
碑 文 | |
[東] | |
粟田焼発祥之地 | |
[南] | |
平成元年十月吉日 | |
[西] | |
青蓮院門主 慈洽書 | |
[北] | |
粟田焼保存研究会建之 | |
調 査 | 2002年2月15日 |
備 考 |