残念さん山本文之助墓GA032 |
ざんねんさんやまもとぶんのすけのはか |
元治元(1864)年7月19日の蛤御門の変で敗走した長州藩士のうち,山本文之助(1836〜64)という人物が西国街道を経て尼崎へ着き,尼崎藩に捕らえられ拘禁中に割腹した。その墓は尼崎の明徳寺支坊墓地に建てられたが,大正5年に現地へ移された。この墓は「残念さん」の墓として信仰を集めた。 |
所在地 | 兵庫県尼崎市杭瀬南新町四丁目(杭瀬東墓地内) |
位置座標 | 北緯34度43分06.3秒/東経135度25分44.8秒(世界測地系) |
建立年 | 元治元年カ |
建立者 | 長尾喜平 |
寸 法 | 高130×幅30×奥行15cm |
碑 文 | |
[南] | |
長 | |
山本文之助鑑光墓 | |
藩 | |
[北] | |
元治元甲子七月廿日行年 | |
調 査 | 2014年4月27日 |
備 考 | 上記解説は阪本勝『残念さん 山本文之助鑑光』(1934年万有社刊),尼崎市史編纂委編『尼崎市史』第2巻(1968年尼崎市刊)によるが,山本文之助の最後や墓石の履歴については判然としないところが多い/現在もなお「残念さん」の名で知られる |
位置図 | |