常盤御前就捕処 ■■旧データ■■

HU113

ときわごぜんしゅうほのところ
石碑(0010819)石碑周辺(0010816)

 常盤御前(生没年未詳)は,幼名牛若丸といわれた源義経(1159〜89)の母。平治の乱(1159)で義朝(1123〜60)が敗死したため,常盤は今若(のちの阿野全成)・乙若(のちの愛智円成,義円)・牛若の三人の子供を伴い逃げるが,母の捕縛を聞き六波羅に自首しようとしたところ平氏に捕らえられたという。幸若舞曲では,才色兼備の貴女として波乱の生涯を送ったとし,「伏見常盤」「なびき常盤」「常盤問答」「山中常盤」で常盤のイメージが形作られた。
 この石標は常盤御前の捕縛の伝承地を示すものであるが,この地の東に名水常盤井(現存せず)があったので,常盤御前と結びつけられたものであろう。なお,この地は陸軍第十六師団隷下の工兵第十六大隊の衛戍地であったため,大隊長が建碑者となったのであろう。

所在地伏見区西奉行町(伏見合同宿舎内)
位置座標北緯34度55分36.7秒/東経135度46分11.5秒(日本測地系)
建立年
建立者工兵第十六大隊長佐藤正武
寸 法高107×幅97×奥行35cm
碑 文
[東]
常盤就捕処
[西]
従四位勲二等岩崎奇一題
頭角蔵懐未嶄然
竜門母子此*#
老椎独在興亡外
雪虐風餐八百年
工兵第十六大隊長佐藤正武建
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調 査2002年10月15日
備 考2010年に伏見合同宿舎は建て替えられ現状は未調査


碑文中「*」字
碑文中「#」字

位置図
位置図

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