佐藤継信・忠信塚 ■■旧データ■■HI040 |
さとうつぐのぶ・ただのぶのつか |
この地には十三重石塔が建ち,佐藤継信・忠信の塚であると伝えられた。佐藤継信(1157?〜85)忠信(1161?〜86)兄弟は,陸奥国信夫荘司の息で藤原秀衡(?〜1187)の郎従であったが,治承4(1180)年源義経(1159〜89)が頼朝(1147〜99)へ参陣の折,秀衡の命により義経に属し行動を共にし平氏と戦った。継信は文治元(1185)年屋島戦で戦死。忠信は,義経が頼朝に背いた後も行を共にしたが別れて京都にいた時,糟屋有季に襲われ自殺した。十三重石塔は,現在京都国立博物館に移され,鎌倉期の建立であると推定されている。この石標は佐藤継信・忠信塚と伝えられる十三重石塔の跡を示すものである。 |
所在地 | 東山区馬町通東大路東入北側 |
位置座標 | 北緯34度59分21.4秒/東経135度46分42.3秒(日本測地系) |
建立年 | 昭和2年 |
建立者 | 佐藤政治郎 |
寸 法 | 高162×幅24×奥行22cm |
碑 文 | |
[南] | |
継信 正六位 | |
佐藤 之塚 政養之碑 | |
忠信 | |
[北] | |
昭和弐年参月 佐藤政治郎 建之 | |
調 査 | 2002年2月20日 |
備 考 |