平氏六波羅第・六波羅探題府址 ■■旧データ■■

HI033

へいしろくはらてい・ろくはらたんだいふあと
石碑(0006926)石碑周辺(0006931)

 六波羅第は平氏がこの地に営んだ邸宅。一帯に一族郎党の邸宅があった。寿永2(1183)年平氏の都落ちで火を放たれ,平氏滅亡後は源頼朝(1147〜99)が接収し京の宿所とした。承久の乱(1221)後,鎌倉幕府は京都守護を廃し,六波羅に南北二所の政庁を設けた。このうち北方が平氏の六波羅第にあたる。六波羅探題の称は南北朝以降のものである。元弘3(1333)年の足利尊氏(1305〜58)の攻撃による焼亡で鎌倉幕府と共に消滅した。この石標は,平氏六波羅第・鎌倉幕府六波羅探題の跡を示すものである。

所在地東山区六原通五条上る東側(洛東中学校内)
位置座標北緯34度59分33.9秒/東経135度46分34.9秒(日本測地系)
建立年1915年
建立者田中富子
寸 法高87×幅18×奥行18cm
碑 文
[南]
         平氏六波羅第【以下埋没】
此附近
         六波羅探題府【以下埋没】
[西]
         今出川千本
寄附者         田中【以下埋没「富子」カ】
[北]
大正四年十■月建之
調 査2002年2月18日
備 考この碑は2010年現在洛東中学校移転による跡地建設工事でいったん撤去されている/洛東中学校跡地に2011年開校予定の「東山区小中一貫校」構内に再設置予定/寄附者田中富子は千本今出川交叉点西北の田中政呉服店田中政七夫人


位置図
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