京都の市電
都市史28

きょうとのしでん
印刷用PDFファイル
 
  【目次】
    知る

    歩く・見る
※画像をクリックすると大きい画像が表れます

   知る

日本初の市街路面電車

 明治28(1895)年2月1日から昭和53(1978)年9月30日までの83年間,路面電車が京都市内を縦横に走っていました。

 明治28(1895)年,民営の京都電気鉄道会社(京電<きょうでん>)が東洞院(ひがしのとういん)塩小路(しおこうじ)下るの七条停車場(しちじょうていしゃじょう,京都駅)と伏見町(ふしみちょう)下油掛(しもあぶらかけ)間の営業を開始。京都に日本初の路面電車が誕生しました。明治45(1912)年6月,京都市営電車の営業が開始され,京電との激しい客取り合戦が繰り広げられましたが,大正7(1918)年7月,京都市が京電を買収し,競合区間の路線が統一されました。大正中期から昭和初期までは,市電の黄金時代が続きました。

 昭和30年代の後半(1959〜1964)から,市電と競合する市バスや会社バスが増加し,更に自動車も多く走りはじめ,路線の自由がきかない市電経営は行き詰まりを見せました。

 昭和45(1970)年3月31日,日本最古の路面電車路線だった伏見線(塩小路高倉<しおこうじたかくら>と中書島<ちゅうしょじま>間)と稲荷線(勧進橋<かんじんばし>と稲荷間)が廃止されたのを皮切りに,路線が次々と廃止され,昭和53(1978)年9月30日,残る外郭線(北大路・西大路・九条・東山・七条・河原町の各線)すべてが廃止され,京都の路面電車の歴史に終止符が打たれました。

先走りの少年

 京電開業の6か月後の明治28(1895)年8月,雑踏や街角,橋上では電車の先五間(約9メートル)以内を先行し,昼は旗,夜は提灯をもち「電車がきまっせえ。あぶのおっせえ」と叫びながら線路を走る告知人がいました。告知人は,12歳から15歳の少年で構成されていて,先走りと呼ばれました。

 告知人制度は,府令第六十七号電気鉄道取締規制によるもので,仕事は危険な上に汗とほこりにまみれての重労働で,少年が電車にひかれる事故が相次いだため,告知人制度は廃止されました。

疏水止まれば電車も止まる

 京電は琵琶湖疏水(びわこそすい)による水力発電によって電力が供給されたため,疏水の流れが止まると,京電も休業となりました。

 京電の定期休業日は,元旦,毎月1日と15日の疏水藻刈日。その他,水利事務所の機械故障や琵琶湖の増水などによって,たびたび電車の走行が止まりました。

 明治32(1899)年,東九条村(ひがしくじょうむら,現南区東九条東山王町)に石炭による火力発電所が開設され,その発電により輸送能力が一気に向上しました。

上へ


   歩く・見る

梅小路公園(うめこうじこうえん) 下京区観喜寺町
梅小路公園

 市電が廃止された後,車両は各地で保存され,現役で活躍している車両も広島電鉄や伊予鉄道で見られます。

 梅小路公園には,廃止された車両のうち,京都電気鉄道時代の姿に復元・整備された車両が運転されており,乗車可能です(有料)。運転日は年末年始を除く,土・日曜日と祝祭日に限られています。

平安神宮南神苑 左京区岡崎西天王町

 廃止された車両が原型のまま保存されています。神苑の入園料が必要とされますが見学可能です。

 なお,廃止後の電車は,幼稚園をはじめ市内各所に保管されています。

電気鉄道事業発祥の碑 下京区塩小路通東洞院南西角
下京区の石碑

 伏見線は,明治28(1895)年2月1日,日本で初めて開通した路面電車で,下京区東洞院通東塩小路踏切(旧東海道線)南側を起点とし,この地点までの約6キロメートルを走りました。昭和45(1970)年廃止。

 石標は,日本最初の路面電車伏見線開業80周年を記念して昭和50(1975)年に建てられました。

電気鉄道事業発祥の碑 伏見区下油掛町
伏見区の石碑

 この石標は,昭和50(1975)年,右の碑と同じく電気鉄道事業発祥の地を記念して伏見線の起点に建てられました。

京都市電北野線記念碑 上京区今出川通御前東南角
上京区の石碑

 明治38(1905)年12月28日,京都駅前を起点として,西洞院通,四条通,堀川通,中立売通を経由し北野へ至る京都電気鉄道北野線が全通しました。当初は北野天満宮手前の下ノ森が終点でしたが,大正元(1912)年には北野天満宮まで延伸しました。大正7(1918)年に京都電気鉄道は京都市に買収され,同線は市電北野線(狭軌)になりましたが,昭和36(1961)年7月31日に廃止され,昭和46(1971)年,この碑が建てられました。

市電の敷石

 路面に使用されていた敷石は,御影石(みかげいし)という良質な石でした。市電が全廃された後,敷石は,小学校や大学の敷石,寺社の参道や庭石,公園の散策路や,木造家屋の柱石,敷石,沓脱石(くつぬぎいし)などに再利用されました。

 二年坂,産寧坂(さんねいざか,三年坂),石塀小路(いしべこうじ),新橋通,哲学の道の石畳(いしだたみ)は市電に使用されていた敷石です。アスファルトにない情緒をかもしだし,東山の町並みによく調和しています。

昭和30年代の市電路線図

上へ