平安京の条坊制
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右京のひとつの坊を図示したもの。一坊が4つの保に区分され,さらに一保は四町に区分されている。
下の平安京条坊図の碁盤の目のような四角が一町である |
平安京の範囲,つまり条坊制が施された範囲は,東西約4.5キロメートル,南北約5.2キロメートルで,大内裏(だいだいり)と羅城門(らじょうもん)を結ぶ中央に朱雀大路(すざくおおじ,幅約84メートル)を南北に走らせ,それを境に左京と右京に二分しました。
平安京の範囲は,朱雀大路を中心に南北に走る計9本の大路と,これらと直交しながら東西に走る一条〜九条の大路および土御門大路(つちみかどおおじ)・中御門大路(なかみかどおおじ)の計11本の大路によって,大きく区画されました。
このような大路によって区分された東西列を条,南北列を坊と呼び,またこの大路に囲まれた一辺が百八十丈(約550メートル)の区画も坊といわれました。平安京の条坊は左京・右京それぞれに九条と四坊ですが,北に半条分の北辺坊(ほくへんぼう)がつきました。
区画としての坊は,朱雀大路に近い方から左京は東へ,右京は西へそれぞれ一坊〜四坊と順に呼びました。律令制では,京職(きょうしき)の管轄下に置かれ,各坊に,坊長(ぼうちょう)1人,各条の四坊ごとに坊令(ぼうれい)1人が任じられ,戸口(ここう)の監督や税の取り立てなどにあたりました。
中国では,坊ごとに周囲をとりまく坊城(垣)が築かれ,4つの坊門が開かれていましたが,平安京では坊城が築かれたのは,朱雀大路に面する左右両京の各条第一坊に限られていました。
一つの坊をさらにたてよこ各3本の小路(幅約12メートル)で16区分し,その一区画を町(ちょう)としました。町は,朱雀大路側の北から南に千鳥式に1〜16まで数え,「左京三条四坊二町」のように位置表示されました。一町の規模は道路を除いて一辺四十丈(約120メートル)と固定されていました。四町をひとつの単位としたものを保といいました。一坊=四保=十六町というわけです。
町の中はさらに細分化され,四行八門制(しぎょうはちもんせい,四行は一町を東西に四分,八門は一行を南北に八分)によって32区分されました。宅地単位としては,これが最小の単位で一戸主(へぬし)と呼ばれました。一戸主は,南北五丈・東西十丈の細長い敷地になります。また,一般の町には1本,大路に接する町には2本,市町(いちまち)には3本の小径が設けられました。
このような条坊制で区画された平安京の中に,大内裏以外に,八町を占める神泉苑,各十二町の東西の市,各四町の東寺と西寺,京中官衙にあてられた坊町などがありました。
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