円山応挙宅址

SI012

まるやまおうきょたくあと
石碑(0005627)石碑周辺(0005631)

 円山応挙(1733〜95)は丹波国出身の画家。京都の石田幽汀(1721〜86)に入門して,狩野派の画法を学んだ。また,宋元画の技術および西洋画の遠近法を加え,写実を重視した画風を興した。応挙とその後継者は円山派と呼ばれた。この石標は応挙の邸宅跡を示すものである。

所在地下京区四条通堺町東入南側
位置座標北緯35度00分14.1秒/東経135度45分48.0秒(世界測地系)
建立年1917年
建立者京都市教育会
寸 法高114×幅18×奥行18cm
碑 文
[北]
円山応挙宅址
[南]
         京都日報社
寄附者         大久保作次郎
[東]
大正六年三月建之   京都市教育会
調 査2002年2月5日
備 考

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