今尾景年画龍碑 碑文の大意
 「那伽」すなわち梵語でいう龍は不思議ないきもので,仏教を理解し信心し,また火災などを防ぐという。仏書にはこの種の話にこと欠かない。そのため仏教の世界では龍を尊重するのである。
 明治戊申の年(41年)11月に南禅寺の法堂が完成したが,工事のはじめに今尾景年翁に龍を天井に描いてほしいとお願いした。景年翁は「承知したが,形だけの龍ではしかたがない。全霊をあげて真の龍を描くことにしたい」と答えた。そこで巨大な筆と硯を使って制作に取りかかり,六十日ほどを経て完成した。円内に描かれた龍は直径33尺もある大きなものであった。
 南禅寺ではこの事業を顕彰する碑を建てたいと考え,わたし(藤澤南岳)に碑文を依頼した。南禅寺は有名な寺院なので寺の記録に記されたことは省いてもよい。また景年翁は画壇の重鎮で技量は群を抜いていることはよく知られているからこれも省いてよいと考えた。大切なのはその龍の絵が偉大なことである。
 真の龍が描かれていればその龍に玄妙な霊がやどる。周礼考工記には,礼楽に使う楽器架には龍や蛇を彫るが,それには「爪や目や鱗を突起させることがかんじんだ」と説く。これは彫刻のはなしだが絵も同様である。霊がやどってはじめて称賛に足る作品ができるのである。聞くところでは景年翁は病中にもかかわらず要請に応じたという。ところが完成したら全快していた。これも龍の霊力であろう。
 画龍に睛(ひとみ)を入れることがむずかしいのはよく知られているが,翁の画龍はすなわちそれによって霊を得たものである。この龍は南禅寺を火災から防護する霊験はあらたかだが,それを知るのは後世の人である。そこでこの碑を建て後世の人に示す次第である。