水力発電事業発祥地

SA073

すいりょくはつでんじぎょうはっしょうのち
石碑(0010137)石碑周辺(0010131)

 この地は,わが国最初の事業用水力発電所である蹴上発電所が置かれたところである。この発電所は,琵琶湖疏水設計者の田辺朔郎(1861〜1944)と京都市疏水常務委員高木文平(1843〜1910)の提案により,明治23(1890)年に竣工した琵琶湖疏水に併設して建設された。翌年5月にエジソン式80kWの直流式発電機二台が完成し,発電が開始された。その後漸次増設され,昭和11(1936)年には出力が5700kWに達し,現在に至る。この石標は,水力事業が発祥した蹴上発電所を示すものである。なお,同発電所の所有権は,昭和17年に市から関西電力に委譲された。

所在地左京区粟田口鳥居町(関西電力蹴上発電所内)
位置座標北緯35度00分38.1秒/東経135度47分17.7秒(世界測地系)
建立年1962年
建立者関西電力株式会社
寸 法高190×幅40×奥行20cm
碑 文
[北]
水力発電事業発祥之地
[東]
村野藤吾設計
炭山南木   書
[南]
   蹴上発電所は、わが国最初の事業用水力発電所であって、時の京都府知事北垣」
国道氏の計画になる琵琶湖疏水工事の設計者田辺朔郎博士と疏水常務委員高木文」
平氏が、米国の利水施設を実地調査した結果、水力発電所を疏水に併設すること」
となり、この地に建設されたものである。」
   工事は京都市により施行され、明治二十四年五月(西暦一八九一年)には八〇キ」
ロワット・エヂソン式直流発電機二台をもって一部の発電が開始された。小規模で」
はあったが、当時としては正に画期的なもので、その後数次にわたり拡張され、」
昭和十一年(一九三六年)に出力五七〇〇キロワットとなり現在に至っている。」
   ここに一碑を建立してその由来を伝えるものである。」
         昭和三十七年十二月               関西電力株式会社
                                                      社長      芦原義重

調 査2002年8月13日
備 考

位置図
位置図

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